Free!見てあまりの眩しさに目が潰れた
※この記事は私なりのprayforkyoaniです。
京アニの支援のつもりで、劇場版Free!Road to the World -夢を観に行った。
アニメイトの募金もしたけど(本当に万札ばっかり入っていてすごい気迫だった)、Free!は今まで見たことなかったしこの機会に見とくか、みたいな。
京アニならつまらないことは絶対ないだろうし、内容がよくわからなくても綺麗な絵を見られたら嬉しいくらいの気持ちで。
なんというか、すごかった。
映像綺麗なのはもちろんのこと(アナログっぽい背景が良かった)(顔が毎秒良かった)、
まあ、友情尊い!みたいな、気恥ずかしいくらい真っ直ぐなストーリーだったんだけど、それにしてもあまりにも優しい世界で、見終わっちゃうのが悲しくてちょっと泣いた。
優しすぎて驚いたポイントをいくつかピックアップしますと、
・育ちの良い普通の男の子が着るような服を着ている
・街並みも綺麗
・良いものを食べている
・食べ物をシェアする
・会話の中でめちゃくちゃ相手の名前を呼ぶ(しかも大抵下の名前)
・会話の中で茶化したり嘲笑したり適当に流したりというようなことを絶対しない
・みんな言葉で気持ちを伝えることができる、それをそっくり受け入れることができる
・人を騙したり試したりしない
・知りたいことがあれば先輩に聞いてみる、お礼はメールより電話、など人との関わり方が非常に丁寧
・約束や一緒に話したことを忘れない
・大人や先輩は頼られ尊敬され、後輩や子どもは大切にされる
・全員自己肯定感がしっかりしていて、人との付き合い方が非常に健全
とにかく登場人物がみなさん良い子。
優しい家族と大好きな友達に囲まれ美味しいものを食べあたたかい布団で眠ってないとあんなふうに育たないでしょ。作ってる人たちがキャラひとりひとりを自分のこどものように想ってて、とにかく幸せにしたいんだなと感じる。良い服を着せたい、良いもの食べさせたい、良い環境で泳いでほしい、素敵な仲間同士になってほしい…わかる、わかるよ… もうそういうのしか見たくない……現実ヤダ………帰省したら親友が風俗嬢やってる現実ヤダ………フリーの世界に住みたい……………………すべての推し、フリーに出てほしい…………………
敵のモビルスーツから出てきたのが親友だったとか、毒親育ちで支配以外人との関わり方を知らないとか、そういう人間関係を描いたアニメばっかり見てたので(なんで?)フリーのこの闇の無さは相当な衝撃だった。こんなアニメあるんだ。
なんかこう、闇がないし、人権意識とか自己肯定感が全員にきちんとあるよね。
郁弥くんの話をします。
なんか映画だと郁弥→遙の構図が強かったというか、会えていなかった時間の長さもあり、遥くんのことを自分のなかですごく特別視しているっぽく見えたけど、ちゃんと再会できて、遥くんは昨日の続きみたいに友達でいてくれて、それがすげえなと思った。
郁弥くんの持っていたような憧れというかややこじらせ系の感情って、勝手に相手を神格化して本人を歪ませたり、再会できてもすれ違ってしまったり的なドラマに使われがちだなと思っていたんだけどフリーではそういうことはなかったね。いやあったのかもしれないけど。ミリしらで見に行ったのでわからない。いやブログ書いてる場合かよ。アニメ見ろよ。ともかく郁弥くんと遥くんがずっと友達でいられてめちゃくちゃ良かった。これがプリティーリズムレインボーライブだったらどっちかが泳げなくなっていた。てか郁弥くん顔が良。まつげで羽ばたいていけそう。
他にも、真琴くんは高校時代は遙くんや凛くんと一緒に選手として泳いでいたわけだけど、大学生になったときには優秀な二人とは常に一緒に泳いではないじゃん。
これ、不穏ポイントじゃん。
選手としては差が開いていることになるし、自分の知らないハルと凛の姿が絶対にあるって嫌じゃない?
でも全然そういう病み方しないんだよね。選手以外の道の価値をめっちゃわかってるし信頼関係ダイヤモンドより強固だから拍子抜けするくらい平気なんだよね。いやあ慣れねえわ。良い子たちすぎるわ。アニメ3クールもやってるとそんな菩薩みたいになるの?でも幼少期のようすけっこうあったけどみんな生まれたときから菩薩だった すごい
あと人間できすぎポイントとして、遙くんが何だっけ、名前わすれたけどスウェーデン人の選手に食堂の使い方を教えてあげるシーンがありました。
食券を代わりに買ってあげて、「このあとはわかるか?」つって結局一緒にサバ味噌定食を食べるんですが。
このとき遙くんは知らん外国人に声をかけることをまったくためらわず、ちょっと英語を使ってみる的なムーブも特になく、めちゃくちゃシンプルに困っていそうだから助けていた。そこには余計なバイアスは一切なく、気負いも気後れもなかった。
一緒に食事しているときも、箸がうまく使えないスウェーデン人に遙くんはスプーンとフォークを持ってきてくれるのだが、その間にスウェーデン人は箸を習得していてスプーンとフォークは使われなかった。それを見て遥くんは「すごいな」と言うの。
その「すごいな」に余計な感情は一切なくて、ただすごかっただけなんだと思う。
あまりにもフラット。
別に外国人相手じゃなくても、誰に対しても遙くんはまっすぐに自分の見た通り、思った通りに向かっていくんだと思う。かっこつけないし、他人のこともかっこで判断したりしない。それは無自覚にいろんな人を助ける。こりゃヒーローだわ。
映画見ただけの感じだと、遙くんは物怖じしない性格だとは思うんだけど特別「優しい」キャラなわけではないと思ったのね。でもこういうことを普通にする。
まあこのシーンは二人の出会い的な作劇のために必要だったのかもしれないけど、Free!はこれが当たり前の世界なのかな。少なくとも遙くんにとっては普通の行いなわけだよね。
優しすぎるし、正しすぎるな…。ほんま道徳やん…。小学校の道徳の時間さわやか3組よりFree!見たほうがいいて絶対
Free!では、とにかく身の回りの人が財産なのだなと思った。
目標となる人物がいて、一緒に戦うライバルがいて、寄り添ってくれる親友がいる。
頼りになる指導者も導いてあげたい後輩もいる。
みんなにちゃんとそういう人がいる。
みんな仲良しではあるけど、「この人は俺にとってこういう人」的な精神的な役割分担が明確に描かれていると思った。依存先がたくさんあることを自立というなら、彼らは全員自立している。自立した人間同士の健全で純粋な交流がそこにはあった。
遙くん見てて特に思ったけど、必要なときに必要な人物が大体そばにいるからすげえ恵まれてるなと思った。泳いでいる限り、新しいライバルも隣にいてほしい人もどんどん向こうから来てくれるじゃん。それだけ泳いでいる遙くんというのは魅力的なんだろうな。
なんか遙くんの話ばっかしちゃうな…わたし遙くんのこと好きなんかな…(照)
人との繋がりが何より大切で泳ぐための力になるという構図が終始一貫していて、それがFree!という作品をこんなに美しくしているんだと思った。そういう主張の強いアニメって好きだ。プリパラとか(プリパラ!?)
ほんとまっすぐで暖かくて優しい世界だった。こんなアニメあるんだって見ながら100回くらい思った。
響けユーフォニアムで受けた傷が癒された。(傷は受けましたが、素晴らしいアニメです)
世を拗ねた人間を描くこともできる京アニが作ったこのFree!、この優しい世界は確実に意図しておとぎ話ばりに優しく描かれてる。だから、優しいことそれそのものに意味がある。
作り手が、優しい世界に生きる健やかで幸せな少年たちを願ったということなので。
そういうふうに祈って行動を起こす人達がこの現代にいたという事実の、その証拠がフリーなんだよな。
でもなんか、より一層、あんな事件が起こってしまったことを切実に悲しく感じる。
人の命に貴賎はないので「よりによって」とか思うべきではないけれど、やっぱ多少思う。被害を受けたのが京アニなことに身を切るようなやり切れなさを感じる。
映画、どうやらシリーズ通しての最新作っぽかったんですがすごい良いところで終わっちゃって嘘やろ!?になった。
続きを見られるのが楽しみです。
(2021/02/12 日本語が変なところを加筆修正しました)